8月15日に考える

2019年8月15日木曜日

  「戦後」となって74年が経ちました。
  照葉でもっとも人口が多いのが45歳位の方ですから、その方達の両親が生まれたのが平均すると太平洋戦争が終わるころです。
  私自身は1953年の生まれですから、直接の戦争経験はありません。それでも身の周りには戦争の影がいくつもありました。
  • 父の弟(=叔父)は、軍医としてフィリピンに赴き、20歳台で現地で亡くなりました(会ったことはありません)。
  • 1942年生まれの私の長姉は、両親が暮らしていた東京から故郷である熊本県菊池に疎開していました。
  • 私の父は英語を教えていましたが、戦時中はスパイの疑いありとの理由で警察から常時監視されていたそうです。
  • 私はこどものころは4人兄弟と思っていましたが、もう一人兄がいたそうです。戦後の食糧不足などの中、幼児期に死去しました。私が知らなかったのは、母の苦痛を見かねて我が家では長い間タブーとなっていたからです。
  • 中学生時代に同じクラスに戦災孤児がいました。彼はいつも弁当を隠しながら食べていました。
  • 妻の両親は戦時中に朝鮮で結婚し、その後中国の北京郊外で過ごしました。敗戦後、乳飲み子の長男をつれて、博多港に命からがら引揚げました。

  福岡大空襲での死者は約1千人、東京大空襲では約10万人、これらを含めて日本人の死者は約300万人といいます(6割が戦闘ではなく餓死!)。さらにアジア諸国民の死者数の総計は約2千万人です。
  前述した中国からの引揚げ者は100万人以上で、20万人以上が祖国にたどり着くことなく亡くなっています。
  私たちにできることは、歴史を紐解き想像力を働かせ、祖父母たちとアジアの諸国民が味わった痛苦を少しでも思い起こすことかもしれません。
  何より、子や孫達の世代のために。

  多くの方が笑顔で集った夏祭りの光景を思い出しながら記す・・・・・

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