海底に陸軍爆撃機(1996年)

2020年2月18日火曜日

歴史

2月15日に、雁ノ巣に飛行場があったこと、長らく軍事施設でもあったことを投稿しました
この件を調べているときに、福岡市の港湾空港局の方から「造成時に戦時中の爆撃機が引き揚げられたのですよ」という話を聞きました。
▲1996年9月10日西日本新聞夕刊より
(今の)アイランド北岸付近から雁ノ巣~奈多方面を写したと思われる

海の中道大橋のすぐ近く

当時の新聞記事によれば、引き揚げられたのは1996年9月10日。アイランドシティの外周部分の護岸工事の際に海底を磁気探査して偶然発見したとのこと。
その後の調査で、この機体は旧陸軍の九七式戦闘機であることがわかりました。
▲福岡市港湾空港局作成

不時着でパイロットはいったん助かったが・・・

同年9月12日の西日本新聞等によれば、操縦席から見つかったはし箱や戦友の証言から、パイロットは鳥取県出身の渡辺さんということがわかったそうです。
以下は、同新聞からの抜粋です。
渡辺さんは大学卒業後、1945年(昭和20年)3月に旧満州(中国東北部)で特別攻撃隊「第四降魔隊」に編入され、4月中旬に同機を操縦して、熊本県菊池経由で鹿児島県の知覧に向かう途中、エンジントラブルから雁ノ巣飛行場に近い博多湾に不時着。泳いで岸にたどり着きました。このときは無事だったのですね。
しかし軍命ですから、雁ノ巣飛行場で飛行機を乗り換えて知覧(鹿児島県)に向かいました。
4月22日に知覧から沖縄線に出撃し、沖縄西方海上で戦死したそうです。
当時24歳。戦争がなければ、あるいは早期に終結していれば、人生をまっとうできたはずです。
私たちの2代前、3代前には同様のことがたくさんあったのでしょうね。

機体は大刀洗平和記念館に

引き揚げられた機体は、大刀洗平和記念館に保存されています(同型機で残存するのはこの1機のみとのこと)。
ここになぜ平和祈念館があるかといえば、筑前町に旧陸軍大刀洗飛行場があり、特攻隊の出撃地となっていたためです。
1945年3月27日、大刀洗飛行場とその周辺は米軍による大空襲を受け千発に近い爆弾が投下されました。飛行場が壊滅的な打撃を受けただけでなく、町の人々にも多くの犠牲者が出ました。
児童31人が命を奪われた「頓田(とんた)の森の悲劇」についてはこちらを参考に
▲修復・復元された九七式戦闘機(藤城かおる氏のブログより)

雁ノ巣飛行場と水上機滑走台跡については、2月15日の記事を参考にしてください。


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