一度は訪れたことがある人が多いでしょう。
ここは戦前における日本最大の民間国際空港であり、戦時中~戦後は軍事施設でした。
朝鮮、台湾、中華民国、東南アジアへ定期便が
完成したのは1936年(昭和11年)で、戦時中は陸軍・海軍の共用の飛行場でした。戦後は米軍基地に
戦後はアメリカ軍が接収し、その後は自衛隊、西日本空輸、福岡県警なども使用しました。この写真は1961~64年に国土地理院が撮影したものです。
位置がわかるように、2002年に開通した海の中道大橋を黄色の線で描いています。
十字に交わった2本の滑走路がはっきりと見えます。
赤の矢印は後述する水上機滑走台の跡です。
1970年にレクレーションセンターが開園
跡地には福岡市雁の巣レクリエーションセンターのほか、福岡航空交通管制部、航空交通管理センターがあります。福岡ソフトバンクホークスの二軍が2015年まではここで練習していましたね。
水上機滑走台は昔のまま
実は名島にも飛行場がありました。名島水上飛行場の名前の通り、こちらは水上機専用でした。1931年に世界一周中のリンドバーグ夫妻を乗せたシリウス号が来訪したことで有名です。一方、雁ノ巣飛行場は水陸両用でした。
その名残が上記の航空写真に写っています。
実際に行ってみると・・・
レクレーションセンターに車を停めて(1時間内は無料です!)しばらく歩くと、石積みの滑走台跡がはっきりと見えてきます。幅10m、長さは海中を含めて70mくらいです。
現在の航空写真を見ると全体像がよくわかります。
滑走台跡から照葉方面を見ると3つのタワーマンションがよく見えます。
左からアイタワー、アイランドタワー、センターマークスタワーです。
あと数年すると、この写真の左半分にさらに3つのタワーマンションが見えてくるはずです。
慰霊碑が・・・
近くの住宅地を歩いていると慰霊碑がありました。1939年に発生した航空機事故の慰霊碑とのこと。雁ノ巣から朝鮮の京城(現在の韓国・ソウル)に向かう予定の球磨号が離陸に失敗し、乗員2名乗客4名の6名が死亡、5名が重軽傷を負ったそうです。
アイランドシティを出てちょっと歩いただけで、日本の近現代史の一部が生々しく登場します。
名島水上飛行場(跡地)も訪ねなくては・・・。
なおアイランドシティを造成中に、第二次世界大戦時に使われた爆撃機が海中から発見された話題を近々掲載予定です。
照葉の歴史は?
「歴史」とは言えないほどの短い期間ですが、照葉のみについては2020年2月11日の投稿「年表作りました!照葉の歩み」をご覧ください。2月18日追記
爆撃機が海中から発見された話題を投稿しました。
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