①1922年(大正11年)~26年(昭和元年)
②1948年(昭和23年)~56年(同31年)
③現在
比較しやすいように、古い地図には、現在の海岸線と二つの香椎駅、そして国道3号線と都市高速およびイオンを重ね描きしています。
①100年前は千早駅の前が海岸線
現在のJR(当時は国鉄)と西鉄(当時は博多湾鉄道汽船)の鉄道はすでに走っています。二つの香椎駅の位置もそのまま。しかし西鉄香椎駅(当時は新香椎駅)から西北西(御島崎方面)に向かうと、現在の国道3号線付近が海岸線でした。駅から海岸までの直線距離はわずか200m。
香椎浜はもちろん千早もまだ博多湾の一部でした。
西鉄の香椎宮前駅付近から千早駅からさらに南にかけて、JRと西鉄が並行して走っていますが、どうやらこの付近が当時の海岸線だったようです。
車窓から、香椎潟、博多湾の向こうに志賀島が見えたはずです。
②千早の登場は1941年(昭和16年)
埋立地に糟屋郡多々良村大字千早が新設されたのが1941年(昭和16年)で、1955年に福岡市に編入されました。1948~56年の地図では、この付近の海岸線は国道3号線と並行して走る福岡東郵便局の横の道路(香椎団地の西端)付近であることがわかります。
③昔のままの海岸は御島崎の一部と香住ヶ丘
現在の地図に、昔の海岸線を重ね描きしています。ようやく香椎浜とアイランドシティが登場しましたね。
昔のままの海岸線は、御島崎の一部と香住ヶ丘、そして雁ノ巣です。
雁ノ巣の一部が変形しているのは砂州が形成されたためでしょう。
おまけは松本清張の「点と線」
1957年から雑誌「旅」に連載された社会派推理小説「点と線」では、東京駅で目撃された博多行きの夜行列車とともに、二つの香椎駅がトリックに使われました。駅を出た犯人と思われる人物と被害者の一人お時が歩いたのは、国道3号線横の御島橋付近からPL教団横から御島崎の海岸に向かう桜並木と考えられます。
そして事件現場は御島崎の海岸でした。
小説では、人気(ひとけ)のない寂しい情景として描かれています。
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