ここが海だったころ(古地図)

2020年2月18日火曜日

歴史

昔の地図を使って、アイランドシティが影も形もなかったころからの様子を見てみましょう。地図は以下の3枚です。
  ①1922年(大正11年)~26年(昭和元年)
  ②1948年(昭和23年)~56年(同31年)
  ③現在
比較しやすいように、古い地図には、現在の海岸線と二つの香椎駅、そして国道3号線と都市高速およびイオンを重ね描きしています。

①100年前は千早駅の前が海岸線

現在のJR(当時は国鉄)と西鉄(当時は博多湾鉄道汽船)の鉄道はすでに走っています。二つの香椎駅の位置もそのまま。
しかし西鉄香椎駅(当時は新香椎駅)から西北西(御島崎方面)に向かうと、現在の国道3号線付近が海岸線でした。駅から海岸までの直線距離はわずか200m。
香椎浜はもちろん千早もまだ博多湾の一部でした。
西鉄の香椎宮前駅付近から千早駅からさらに南にかけて、JRと西鉄が並行して走っていますが、どうやらこの付近が当時の海岸線だったようです。
車窓から、香椎潟、博多湾の向こうに志賀島が見えたはずです。

②千早の登場は1941年(昭和16年)

埋立地に糟屋郡多々良村大字千早が新設されたのが1941年(昭和16年)で、1955年に福岡市に編入されました。
1948~56年の地図では、この付近の海岸線は国道3号線と並行して走る福岡東郵便局の横の道路(香椎団地の西端)付近であることがわかります。

③昔のままの海岸は御島崎の一部と香住ヶ丘

現在の地図に、昔の海岸線を重ね描きしています。
ようやく香椎浜とアイランドシティが登場しましたね。
昔のままの海岸線は、御島崎の一部と香住ヶ丘、そして雁ノ巣です。
雁ノ巣の一部が変形しているのは砂州が形成されたためでしょう。

おまけは松本清張の「点と線」

1957年から雑誌「旅」に連載された社会派推理小説「点と線」では、東京駅で目撃された博多行きの夜行列車とともに、二つの香椎駅がトリックに使われました。
駅を出た犯人と思われる人物と被害者の一人お時が歩いたのは、国道3号線横の御島橋付近からPL教団横から御島崎の海岸に向かう桜並木と考えられます。
そして事件現場は御島崎の海岸でした。
小説では、人気(ひとけ)のない寂しい情景として描かれています。
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